ターボル Tábor 画像はこちら
 「ターボル」(Tábor)とはチェコ語で軍事キャンプを意味する。その名の通りこの街は、戦争中に築かれた城塞がそのまま都市に発展したものである。
 15世紀にチェコで起こった宗教改革、いわゆる「フス派運動」は、チェコへの十字軍を何度も撃退したが、その後フス派は穏健派と過激派に別れ、過激派は1420年代からターボルを本拠として抵抗を続けた。実は「ターボル」も、聖書に登場する山の名前を引用したものらしい。もともと13世紀後半から王の城が存在したが、フス派は街を多角形の要塞へと造り替え、その様子は今も街の南西にあるコトノフ(Kotnov)城、或いはその北側のベヒニェ門(Bechyňská brána)から続く、街を取り囲む城壁によく残っている。

 街は、フス派時代の指導者ジシュカ(Jan Žižka)にちなんだ、ジシュカ広場(Žižkovo náměstí)を中心に半径200mほどの小さなものである。広場は後期ゴシックやルネサンス様式の家々に囲まれており、なかでもキリストの変容教会はひときわ高く聳え、ターボルのシンボルとなっている。また、現在フス派運動博物館(Husitské muzeum)となっている旧市庁舎からは地下道にも入れる。

 なにより、この街は地図を片手に歩きまわってみることだ。真っ直ぐな道はほとんどなく、行き止まりや入り組んだ路地が多い。この街が軍事目的でつくられたということがよくわかるだろう。時間があれば、街の南を流れるルジュニツェ川(Lužnice)を渡って、高台にある街を眺めるとよい。ターボルという街全体が城塞であったことがいっそう実感できる。

 ちなみに筆者は、ジシュカ広場で一休みしている時に一人の老人から話し掛けられた。広島の「たなかしょうぞう」と文通している、というその老人は一時間以上も一方的に話し続け、12月の戸外に長時間釘付けにされた代償として風邪をひくはめになった。チェコ語を解する人は要注意である。