クトナー・ホラ Kutná hora

 1143年に建てられたセドレツ修道院の近くで、13世紀に良質の銀山が発見された。その後、坑夫ばかりでなく、彼らの生活を支える人々が集まり、その地は次第に大きな街となった。13世紀後半にヴァーツラフ二世(Václav II)が貨幣改革を行うと、国王の造幣局も置かれるようになり、プラハに次ぐ繁栄を謳歌した。だが、街の盛衰は銀山と共にあり、16世紀には銀が枯渇し始め、さらには、新大陸からもたらされた安価な銀によってその没落が決定的となったのである。

 さて、「プラハに次ぐ」地位には満足できなかったクトナー・ホラ市民が、プラハを追い抜くために、その富を可視的に表現したものが聖バルバラ大聖堂(kostel sv.Barbora)である。聳え立つ後期ゴシック様式の建物は、プラハの聖ヴィート大聖堂(katedrála sv.Víta)に対抗して建築されている。

 銀山都市としてのクトナー・ホラを楽しみたいのであれば、なんといっても鉱山博物館での坑道見学をオススメする。ガイドに案内され、白い上着とヘルメット、懐中電灯をもって坑道の一部を歩いてまわることができる。中世の人々の平均身長は140~150cmだったそうで、坑道もかなり狭い。どちらかと言えば痩せている筆者でも、圧迫感を感じるほどだ。プラハでよく見かけるような、太ったアメリカ人夫婦は通り抜けらるのだろうか?体格で入場を制限されているのではないかと疑っている。

 一方、もともと集落のあったセドレツ(Sedlec)の方には聖母マリア教会(kostel Nanebevzetí Panny Marie)と墓地教会(kostnice)がある。とりわけ墓地教会には、名高い骨のオブジェを見るために、観光客の波が絶えない。シャンデリア、十字架、聖体顕示台等がすべて人骨で造られている。その雰囲気は実際に見て確かめてもらうしかない。

 プラハから急行で一時間程。日帰り旅行にはちょうどいい。