チェスケー・ブジェヨヴィツェ České Budějovice

 チェスキー・クルムロフを紹介した際にも触れたが、13世紀、チェコ南部ではヴィートコフ家という大貴族家門が領地を拡大し、強い影響力を持っていた。プシェミスル・オタカル二世は、1263年にズラター・コルナ修道院を設立したのに続き、1265年に国王都市チェスケー・ブジェヨヴィツェを建設した。この二つは、一般に、強大なヴィートコフ家を抑制するための処置と言われている。さて、ブジェヨヴィツェの建設は、ズヴィーコフ城代ヒルシュの手によって進められた。彼はズラター・コルナ修道院やピーセク城の建設にも関わっているエキスパートであった。ブジェヨヴィツェは、自生的に発展した集落とは関係ない場所、チェコ風に言うならば、「青い芝生の上」に設立された珍しい街である。付近に先行する集落がまったくなかったわけではないが、だいぶ離れている。街を歩けば、ここが完全な(中世の)計画都市であることを実感できる。

 見所は、チェコの都市で一番大きな広場、その名もプシェミスル・オタカル二世広場であろう。サムソンの噴水と市庁舎は18世紀のもの。1645年頃にバロック様式で再建された聖ミクラーシュ教会は、もともと13世紀に建てられたものである。すぐそばに立つ黒塔に上れば、ブジェヨヴィツェの街並みを一望できる。

 ビール好きの方には言うまでもないが、ここは世界的に有名なビールの銘柄バドワイザーの語源となった街である。ブジェヨヴィツェのドイツ語名ブドヴァイスの形容詞を英語読みするとバドワイザーとなる。当時ヨーロッパ中に知られていたブドヴァイスの名を、アメリカに渡った移民が拝借したのである。両者は別物である。下戸の筆者には、本場で飲むブドヴァルの味が格別であることを説得的に表現することはできないが、筆者の経験では「うまい」、「おいしい」、「飲みやすい」の三語で事足りるようである。